各種ネタバレを含みます
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
救いとか幸いとか
いずれ書かなければならないと思いつつ先延ばしにしていた話題が溜まってしまったせいで色々と不都合が出てきてしまったので、後々加筆修正なり別エントリで補足するなりということを前提として記事を作っていきます。
あと前回書きそびれたこと■ 劇場版は結城理くんを中心とする物語であって彼を取り巻く人間模様に(主人公との相互の関係という所以外は)スポットライトが当てられる必要がなく、原作に存在しているプレイヤー・神視点から見たキャラの背景が描かれることが殆どなくなっていて、恐らく#3では各メンバーたちのペルソナ覚醒まで描かれないんだろうな~と思いました。尺が足りないからしょうがないね。
以下10月の満月戦以降のネタバレを含みます。
あと前回書きそびれたこと■ 劇場版は結城理くんを中心とする物語であって彼を取り巻く人間模様に(主人公との相互の関係という所以外は)スポットライトが当てられる必要がなく、原作に存在しているプレイヤー・神視点から見たキャラの背景が描かれることが殆どなくなっていて、恐らく#3では各メンバーたちのペルソナ覚醒まで描かれないんだろうな~と思いました。尺が足りないからしょうがないね。
以下10月の満月戦以降のネタバレを含みます。
作品世界・ストーリー上におけるキャラクターの死について去年から現在まで継続して考えています。今年であればTOのNルートギルダスの「人としての尊厳を蔑ろにされた形(屍人)からの救済としての死」が、ああでもないこうでもないと考えていた例だと思います(Twitterのログまで引っ張り出す元気が無いのでいずれ個別記事にて)。5月からはP3の荒垣真次郎について延々と悩むことになってしまい、最近になってようやく自分の中のベターな回答を見付けることができました。まだベストではないです。
「なぜ死ななければならなかったのか」ではなく「その死は本人にとってどのようなものであったか、周囲の人間はどのようであったか」という考え方にシフトすることによって思考が随分と纏まりました。「なぜ死ななければならなかったか」というのはプレイヤーの目線による疑問であってその答えは「ストーリー中に必要であったから」となってしまいます。こうなると堂々巡りで、考えても考えてもストレスが溜まる一方です。自分の疑問とそれに対する答えがプレイヤー的な(第三者の)考え方だと気付くのがやや遅れてしまい反省しました。
1周目では荒垣の死がメンバーたちの「死」に対する考え方のスイッチになっているように見えて違和感を持ちましたが、10月のメンバーたちを見るにあたってプレイヤーは主人公の目線であらなければならなかったんだろうと思います。相手の気持ちを推し量る、とか、そういうコミュニケーションは4月からコミュシステムとして訓練させられていて、今までの経験を積んだ主人公にとっての荒垣の死とメンバーたちの苦悩を、10月に感じる必要があったと思います。残念ながら1周目はどうでもいいが口癖の有里湊くん、という独立したキャラのひとりとして見てプレイしてしまい、それが現在にも悪影響を及ぼしているのかなあ、と。
P3の「死んだらそれで終わり」という考えは本当にすごいなあと思いました。当たり前のことであるけれどサブカルチャー作品に触れていると霊魂や死後の世界にとわられがちで、つい忘れてしまうことだと思います。死んだらその「死」は残された人々のもので、自分とは直接関わり合いのないことで、荒垣の場合だと真田明彦くんが慟哭しながら親友に語りかけるけれど、絶対に返事はなくて、それでも真田は10月以降いつまでも「シンジならこう言うだろうな」と言い続けていて。すごいなあ強いなあと思うと共に、荒垣は死んだけれど真田の中にはシンジという人間がいつまでも生きていて語りかけていて、最早本人の手を離れたところで生き続けているのが面白いです。これからも生きていって荒垣を自分の中に生かしておくのが真田にとっての幸いなのだろう、というのが私の荒真についての答えです(2014年7月現在)。
救われた・救われないの基準というものもありませんが荒垣自身は「これでいい」と言って満足して死んだので救われないと決めるのは野暮かなと思います。全ての悩みを解決する方法としての死はひどく暴力的であるなあというのが私個人の考えですが、荒垣は自身の懊悩や罪悪感を結果として解決することとなる死を満足して受け止めようとした上での「これでいい」だと解釈するようになりました。
設定資料集には作中の人物に作品のテーマを語らせるということはしないと明言されていましたが太陽コミュは荒垣と主人公の命運を連想しました。
荒垣の死を改変できそうにないと思ったのは、荒垣の死がもたらした影響が作中で描かれているからかな、と分かってきました。多分。あと生きているのがつらそうな人が死の定めをちょっとだけすり抜けて寿命が長引いたぶんつらい思いをするというのが見てらんないというのもある……かも……?
たとえ姿かたちはなくても大切な人と共に生きていけることは幸いであると思います。荒真のことを考えていると銀河鉄道の夜を読みたくなります(パロディとかそういう意味ではなく)。ほんとうのさいわいを考えながら生きていくのはとても難しいことだけれど真田明彦くんは無意識のうちにやってのけるんだからすげえぜ。
PR
COMMENT